岩屋公園|清水磨崖仏群 |
清水磨崖仏群と岩屋公園は駐車場も共有する隣接した史跡と施設。清水磨崖仏群では、平安時代や鎌倉時代に彫られた塔や梵字(ぼんじ)を見ることができる。岩屋公園では、川辺という地名の由来ではないかとされる清流「万之瀬川」で川遊びも楽しめる(釣りはできない)。キャンプ場や、広い芝生などがあり、園内にあるサクラノヤカタでは「スイーツ+ドリンク」も楽しめる。休日には家族連れや、史跡観光客でにぎわう。 |
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薩摩塔|清水の湧水 |
清水の湧水は湧水で飲むこともできる水である。水量が豊富なことで知られ、まるで小川のように水が湧き出ている。清水磨崖仏群にも湧水はあるが、水量がケタ違いに多い。近年、歴史的に注目されてきたのがここに建つ「薩摩塔」。日本全国に5基しかなく最初に3基薩摩で発見されたことから薩摩塔という名前が付く。注目されている理由は、塔のダルマ型の部分で中国の石でできていることがわかり注目されている。薩摩の上級武士の塔は山川石というやや黄色身ががった石が使われている(山川石は山川町で採れる石)。なぜ注目されているかというと「こんな内陸まで中国からどうやって運ばれたか?それができるのはどれくらいの権力が必要なのか?これくらいのことができたのはどんな人なのか?」という点で注目されている。エジプトのピラミッドの石の解明のように、想像力を掻き立てられる石である。1基がこの清水の湧水の横に建っている。この付近にあと2基発見されている。現在立ち入り防止のロープが張られている(崖上の樹木が落ちそうなため)が、神社がある。そこは、岩の壁をガリガリ削って神社が作られており、薩摩塔は以前この横に建っていた。岩を削って建てられた神社も珍しく、古い建物なので非常に趣きがある水元神社。 |
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層塔群|宝光院跡 |
岩屋公園へ行こうと道路を走っていると突然、左上の層塔群にでくわす。心霊スポットかと思ったが、調べてみると近くを埋め立て整地する際にこのあたりの山を削った。その時、これらの塔が大量に出土しここの地にまとめて並べている。さらに進むと宝光院跡入り口にある仁王像。このエリアはいったい・・・何?と思う。この3方を山に囲まれたエリアは桓武天皇の子孫川辺氏の拠点であった。山に囲まれた場所は天然の城壁のような役割を果たしていたようだ。 |
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川辺氏屋敷跡 |
平安時代の終わりごろ、平家一門の平忠度が札守に任ぜられた。河邊氏の始祖は平家の一族村岡平氏(鎌倉北部の地名)。河邊氏が河邊領主にとして入川したのは1130年ごろでないかと考えられている。源頼朝が幕府を開く前(1192)。河邊氏館跡は清水小学校、宝光院、にはさまれた場所にある。川辺氏の祖先は桓武天皇で、現在の薩摩半島の大部分を治めていた。その子が道房(川辺)、鹿児島氏、別府氏、頴娃氏(頴娃三郎忠永)さらにその子が忠方:頴娃氏、忠光:揖宿(指宿)氏、忠信:知覧氏、孫達へと引き継がれた。 |
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